2018年6月26日火曜日

闇に溶ける偵察行動(LRRP/LRPについて)

 ちょっと前のコ○バットマ○ジンでは、2013年に出版された洋書の「LRRP Photos」を抜粋し、日本語訳して紹介していました。実は意外と本質を捉えた長距離偵察隊について触れた日本語の読み物は少ないと思っていたので、非常に良い記事だと思いました。

 あまりこのブログで装備紹介とか細かいことを説明するのは面倒くさいのと、書いてる本人自体がよく分かってないので書くのはどうかと思ってたのですが、偵察隊人口(なんじゃそりゃ)を増やす目的でも、ちょっとばかし書いてみたいと思います。

---LRRP/LRPってなんだよ--- 
 この本を買って読んでください(投げやり)

Long-Range Reconnaissance Patrol」を略したもので「長距離偵察パトロール」とか訳されます。「ラープ」と発音します。
 どんなことをしてたかというと、ベトナム戦争においては神出鬼没な敵の捕捉が困難を極め、少数人数で「師団の目と耳」として、敵地深くで行動する部隊...といった感じです。敵がいるとされる区域で情報を得ることが主目的ですから、彼らの一番の武器は、携えたライフルではなくその洞察力と背中に背負ったラジオが一番の武器でした。

 基本的なチーム編成はチームリーダー、サブリーダー、ラジオオペレーター(RTO)が2名と小銃を持った偵察兵が2名の計6名とされていましたが、実際のLRRPチームでは人で不足により4~6名の間でチームを編成していたそうです。


 アメリカ軍の本格介入した1966年時点ではLRRPチーム自体は旅団単位で臨時編成を取るなど規模は小さかったようです。67年以降からは展開していた各中隊でLRRP中隊が正式に編成され、様々な偵察任務に投入されていたようです。

 1968年になると、LRRPのRが1つなくなり、「LRP」(Long-Range Patrol)と呼称が変わりました。前身となるLRRP中隊は純粋な偵察任務を主目的としていましたが、LRP中隊はハンター・キラー任務(ヘリコプター等との協働任務)や、アンブッシュ等の攻撃的な任務も担うようになっていったようです。

より詳しく知りたい人はこの本を買ってください。

---LRRP/LRPの格好をしたいんだけど---
 
 ここからが本題、じゃあLRRP/LRP(以下偵察隊)の格好をしたいんだけど?ってなったら、おそらくはみんながイメージするのはタイガーストライプ・カモフラージュ・スーツを着込んでリュックを背負っているイメージかもしれない。年代にもよりけりだけど、そのイメージは正解なので細部の話をしていきたいと思います。

 つまりこの記事で一番言いたいことは、BARベルトをしめたりレミントンのポンプ・ガンを持ったりする偵察隊員は非常に稀だと僕は考えてるわけです。
  前記したように臨時編成の偵察隊ではその規模から試行錯誤が多く、 「今あるものでなんとかする」しかないのが現状だった様です。カモフラージュ・スーツを購入するにしろ、部隊単位で基地周辺の店で購入するなどの記録もあります。

(※BARベルトやポンプ・ガンは、記録や写真にはあるけど至って稀であり、陸軍偵察隊で多様されたものではないってことはハッキリ言っておきたいと思います。)



上記三枚は1968年ごろ陸軍報道員が偵察任務へ同行した際に写した、すべて同一人物の写真。
著名な写真だけど、偵察隊を紹介するには一番いい写真だと思っています。

  前に厚木でサバゲをしてきた記事にもちょろっと書いたけど、異物混入のためにマズルにテープを巻いたり、ハンドガードにテープを巻いてライフルの輪郭をぼかしたりと目に見えるところはともかく、アムニッションポーチに付けるグレネード類にテープを巻き、脱落防止をするなどするとグッと偵察隊「らしさ」が出ると思うといかがでしょう...


上記二枚のリコンドースクールの写真が分かりやすいかもですね

 66~68年くらいまでの偵察隊に限れば、持つガンも普通のM16ライフル、個人携帯装備もM1956装備を使用しているし、スペシャルなアイテムと言えばLRRPリュックやタイガーストライプやERDLパターンを始めとするカモフラージュ・スーツとハットくらいではないかと思います。
 陸軍歩兵部隊の格好ができる人なら、意外と取っつきやすいと考えているので皆も偵察隊やってみてはいかがでしょうか。

以上連々と書いてみたけど、書いてる途中で自分が何を言いたいのかわからなくなってしまったので、また思うこと等あれば追記していきたいと思います...

2018年6月10日日曜日

ココ最近

イーグルビーチごっこ

 ベトナムに展開していたアメリカ陸軍第101空挺師団は独自の保養施設を運営していました。
「イーグルビーチ」と呼ばれたそれは、1969年の5月から運営され海水浴を楽しめるのは勿論のこと、ウォータースキーを楽しんだりと空挺歩兵たちはそこでつかの間の休暇を楽しむことができるようになっていました。
1年の間に規模は拡大され、小さなPXやバスケットボール場などが整備されたりと施設の増設が続けられたそうです。(1969年第101空挺師団Year Bookより一部抜粋)



海なし県生まれなので、突然海に行きたくなり暇人共を誘って行くことに。
ただ単に海に行くのももったいないので、イーグルビーチごっこをしてきた


 海だぁ...




ぶっちゃけファティーグ着て水遊びしてるおっさんの図だけどたまにはこういう休みの過ごし方するのもいい気はする。なにもしないをするってやつ

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M17双眼鏡を手に入れた

 セカ○モンで初めてものを買ってみた。
M17双眼鏡はナム戦で使えるものらしいので、偵察隊の格好するときにあればいいなぁ...とか安直な考えで手に入れたって次第だ。これ思ったんだけど、80年台の西ドイツ駐留部隊とかでも使えんじゃね?国境を監視する人みたいな感じで...



ミルの読み方は勉強します...

2018年6月5日火曜日

MVG2018に行ってきた

 5月の最終週に開催されたサムズミリヤリヤさん主催のMVGに参加してきた
「穴(機関銃掩体)をほろう」という目的があったので穴を掘りに行ってきた。掩体掘るのは実を言うと生まれてはじめての経験でした。
行きは下道だけ使って朝5時位に家を出て11時位についた

 会場は北軽井沢の浅間サーキット場跡。軽井沢に来たの小学生ぶりだった...

到着即飲酒御機嫌になるやつ
実はこのときにはもう知り合いが到着してて穴を掘ってたっていう...申し訳ないことをした

 合流して3人である程度掘った図

 先着してた人は経験者なのでいろいろ指導を受けながら掘ってく。剣スコでちょっとずつ土を掘り返してから水平投射で背後に土を送っていく...という作業の繰り返し。背後に土を捨ててくのは敵の進行方向に土を捨てちゃうと周りと土質が変わってバレてしまうからだそう。背後の土は土嚢を作るのに使用しました。

 手榴弾孔や弾薬箱を置くスペース、階段を作り、汎用機関銃を設置するとこんな感じ。
 射角は正面と左右に取れるようになってるんですね
もっと周りを片付けた写真を撮っておけば良かった...


 機関銃を構えるとこんな感じ
ナム戦の実際の写真を見てると、モンスーンが過ぎ去った後とか迫撃砲陣地とか、浅いといえど水浸しになってる写真見るけどゾッとしませんね...

掘ったら埋めなきゃいけないんで埋めた後の図
本来は埋めた際、周りの土と土質をあわせてここに敵に陣地があったことをさとられないようにするために慣らす必要があるみたいです。


 よしときゃいいのに掩体で寝てしまった奴がいるようだな
機関銃掩体なのだから、恐らくここで睡眠をとることを考えてないため、すげー狭いわ無限に左右から土が落ちてくるわで過去のミリタリーイベント振り返っても最悪の寝床だった

 17時くらいから眠くなって仮眠してることを撮られてた

ミリタリービークルが集うイベントなのでM113が来ていたので撮影した図
本来機械化歩兵の格好をして撮影をすべきなんだろうけど、イメージ先行でファティーグにアーマーでいいだろうと考えてしまった。



銃座にも載せてもらったんだけど「これバトルフィールドじゃんか!」と小学生以下の感想しか出なかった
ナム戦の機械化歩兵だけでなく、ユーティリティを着てM14ライフルを携えた歩兵がわらわらと後部ハッチから出てくる光景も似合いそうじゃないすか? 

掩体を掘るのもいい経験になったし、動くM113に乗れたしで楽しいミリタリーイベントでした
第二次大戦グループが教本に基づいて掩体を掘っていた(写真を取り忘れた)ので、僕らも次の機会はやってみたいね...