2018年5月29日火曜日

500キロの彼方に ~ちょい南無戦闘編~

「お前が撃った奴のことは気にするな。小銃を持って戦場にいれば、それは歩兵という戦闘単位だ。気に病む必要はない。ただ……自分が既に状況の一部になっている、ということだけは覚えておけ」

詳しいことは前の記事を読んでください
 
とりあえず朝ご飯を食べる歩兵たちの図
夜はブランケットをかけて寝たけど若干寒かった...フィールドジャケットもスリーピングシャツも忘れてしまったのでどちらかがあればちょうどよかったと思う。



みんながウォーに備えて一生懸命準備してるとこ。

「リディ少尉...!」「ブゥヮナァァアアアジィイイイイ!」とか言って遊んでるクソ野郎共。ウォーの準備をしろ。

準備を終えたので199軽歩兵旅団の仲間たちと集合写真を撮った。写真を撮ってる奴が擲弾手をやってたので機関銃が欠員してる歩兵小隊って感じになるんすかね。

 みんな仲良く怪我しないで戦争をしましょうという訓示を聞いてるとこ。
「すげー暑いしマジでウォーするんすか」だとか「みんなナム戦がすきなんだね~」とかとぼけたことを言ってた。

 戦闘自体はサバイバルゲーム方式をとっていて、「ヒット!」といえばいいのかメディックを呼べばいいのかちょっと混乱してしまったんですけど、敵の防御陣地へ攻撃する任務を拝命した際は1騎兵と25歩兵の混成部隊と199軽歩兵で両翼からの挟撃を仕掛けれてアドレナリンがドバドバ出て楽しいガンファイトになりました。防衛戦もなかなか熱い展開で最右翼で重症を追ってたら南ベトナム陸軍の戦友がわざわざ這って助けに来てくれて思わず泣いてしまった。
 指揮をする分隊長もその場その場で最適と思える判断を下すのが非常に上手な分隊長で、喜んで生命を預けることが出来たってワケ。またこの分隊で戦いたいと強く感じた。

文章しかないところからお察しの通り、ゲーム中の写真がないのでゲームが終わってからの撮影会でとった写真を上げておきます。撮影会はゲーム以上に楽しかった。



写真を撮る人は「基本的に歩兵の後ろ、姿勢を可能な限り低く」ってルールを守るといい写真ができる気がしません?


時折小隊長が「狙撃兵だ!」と想定を叫ぶのでそれに応じた動きをとってみたりしてるとこを撮り捨ててく感じで撮った一枚。

 イベントに参加した感想を総括するとわざわざ遥か彼方から参加した価値は思ってた以上にあったと思います。だってまた参加したいと思ったもんね。
 次はもっと優れた199軽歩兵旅団の歩兵の格好をしたいと思ったので、ぜひ次回も参加したいと思います。運営の方々、お世話になった第7歩兵連隊第3大隊A中隊第1小隊の戦友には感謝感激です!
 

~おまけ~
 
照準装置付きM14を借り魔弾の射手となった
ナム戦のレンジャーでも使えるガンだし、メチャクチャ明るい照準装置でビックリした。
もっとビックリしたのはガスのM14ライフルのストックがすごい細いのにたまげた...


往復の総走行距離が1000キロ超えてて軽く笑った...





2018年5月17日木曜日

アパッチ・スノー作戦 「937高地の戦い」について

 映画で有名な、「ハンバーガー・ヒルの戦い」は1969年の5月にアパッチ・スノー作戦上発生した937高地を巡る戦いで、第101空挺師団隷下の第3旅団187連隊第3大隊が攻撃の主力を努めた戦いでした。
 備忘録として3年くらい前に1969年の第101空挺師団イヤーブックに載っていたアパッチ・スノー作戦の概要を下手な訳ですが載せておきたいと思います。

-----------以下訳文-----------

アパッチスノー

1969年5月10日にベトナムでの戦いにおける最も大きな空中機動作戦の一つ、アパッチスノー作戦が開始された。
第24軍団隷下の101空挺師団(空中機動)の7個大隊、南ベトナム第1歩兵師団そして第3海兵師団、第9海兵連隊がラオス国境付近のランディングゾーンへ投入された。
火力基地「Bradley」「Airbone」「Currahee」「Berchtesgaden(※ドイツの地名 ヒトラーの別荘があった場所)」「Cannon」侵攻16時間前に10の砲座を配置した。

部隊は共産軍に奇襲をかけた。アシャウ渓谷東側からの襲撃を行い、共産軍のラオスへの脱出ルートを分断した。
東側を一掃しつつ、アシャウの北側へ進軍した。そこは有力な共産軍の物資が備蓄されているエリアとして知られており、部隊は共産軍に対し挑戦を投げかけた。
共産軍は物資貯蔵庫を明け渡し降伏するか、逃走又は勇敢に立って戦うことを試みるのどちらかだった。
敵は師団に残る最も困難な戦いの1つとなった「Dong Ap Bia」と937高地に戦いのステージを置くことを決断した。

Dong Ap Bia
187空挺連隊第3大隊(空中機動)の歩兵たちは___「ただの丘」___Dong Ap Bia、937高地の西を一掃しつつ前進していた。
ラオス国境と丘、2マイルの間は起伏の多いジャングルであったが、小さな敵の抵抗があった。
しかしながら「ラッカサンズ」は丘へ近づくと、大隊が進軍するに従い、スナイパーによる狙撃やより激しい攻撃を受けた。
すぐに、自動火器による攻撃が斜面に広がり丘全体での交戦が始まった。
しかしラッカサンズはその時は知らなかったが、彼らはDong Ap Biaの奥深くに隠蔽され、防御が固められた北ベトナム軍第29連隊のベースキャンプへ向かってよろめきながら前進していたのであった。

山に航空支援と砲撃を要請した。
翌朝、187連隊第3大隊指揮官、ジョージア州コロンバス生まれのウェルドン・ハニーカット中佐は指に似た尾根に沿って彼の各中隊を頂上に向かわせ導いた。
初めに密生したジャングルを突き破り攻撃すると、ラッカサンズは航空支援と砲撃によって植物がなくなっている地域へ出た。
ここでラッカサンズは敵の激しい砲火により釘付けとなった。B中隊の2個小隊はなんとか頂上まで25メートルの地点まで前進したが、突然の暴雨風により斜面は手に負えない泥濘と化した。大隊は撤退した。
翌日ラッカサンズがより良い位置に移動できるように、より多くの航空支援と砲撃が敵の掩蔽壕が存在する地点に要請された。しかしながら、この攻撃は45分の銃撃戦で頓挫した。

一方、506空挺連隊第1大隊(空中機動)はラッカサンズへの増援を試みていたが、スクリーミンイーグル(師団全体)がDong Ap Biaの密集した森で部隊を分散したために激しい敵の抵抗を受けていた。
ついに5月18日、506空挺連隊の3つの中隊が丘にある基地の南西部に到達した。そして増援の506空挺連隊第2大隊、南ベトナム軍第2~3連隊が増援として準備をしていた。

5月20日の朝遅く、4つの大隊がDong Ap Biaへ協調して攻撃を実施した。
ラッカサンズのA中隊、506空挺連隊の2大隊が北部から、506空挺連隊の第1大隊が南、南東から、南ベトナム軍の将兵が南東から、そして501空挺連隊「ジェロニモ」の第2大隊(空中機動)が北東から攻撃を行った。
激しい攻撃で北ベトナム軍の抵抗は打ち砕かれ、友軍部隊は頂上を掃討した。
10日間の激しい戦闘の結果は、北ベトナム軍第29連隊の事実上の壊滅であった。1,000トン以上の爆弾と、16,000発以上の砲弾がDong Ap Biaに撃ち込まれ、何百もの掩蔽壕とその他の建物が破壊された。北ベトナム軍は衝撃的な敗北を喫したのだった。

第101空挺師団司令官、メルヴィン・ツァイス少将は「勇気ある男たちのとてつもなく大きな勝利」とその戦いを表した。

アパッチスノー作戦は、アシャウ渓谷北部での活動の後20日後に終了した。
合計で675人の確認殺害、3人の捕虜、241の個人装備、41の支援火器、100,000発以上の弾薬が発見された。
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CBSの特派員が攻撃中の第187連隊を取材している貴重な動画です。
連隊を指揮するハニーカット中佐がインタビューに答えてたり、LZの状況がかなり映画ではよく再現出来ていると思います。

個人的にいろいろ調べている戦いでもあり、そもそも937高地を含む一体の「アシャウ渓谷」はこの戦いに限らず様々な激戦が行われていた地域でも有り、アメリカでは一冊の本として発行されるくらいには有名な戦いでもあります。

また何か分かり次第随時更新していければいいなと思います。

遠い和歌山  ~ちょい南無前夜編~

「あのベトコンの反応速度を超える必要がある。40ミリ擲弾は!?」
「残弾1です!」 
「一発勝負だな」
「リディさん!?」
「やるんだ! ……村を守るには、それしかない!」
「迂回して正面から突っ込む! すれ違いざまに分かれて同時攻撃! 一点突破だ!」


 詳しい経緯は準備編を読んでください

前日が夜勤明けで出かけるのはAM3時に起きて4時に家を出ればよかったんだけど、寝付けずに3時間くらいしか寝てないで自宅を出た。

「とりあえず行くしかねぇ」みたいな感じで道連れを拾うため神奈川某所へ行く。

 道連れ(代役:パチュリー・ノーレッジ)に「あと5時間くらいクルマにずっと乗ってるわけだが」とか言ったら「どえらいことですよコレは」的なことをマジトーンで言ってた。

 「永遠に静岡県を走ってるし日本は全部静岡なんじゃね」

 「知らない土地だ...」とか言って三重県伊賀まで来てしまった
ニンジャリアリティショックで死を迎えるとこだったが堪えた

 そばをくう

 なんだかんだ言って休憩したり道を間違えたりしてたら、14時位にようやく会場入りって感じ。

 すげー遠かった...というよりか行程を淡々とこなしたって感じの達成感だったヨ
半分駐車場、半分キャンプスペースで分けてるって感じでおもったより狭いなと感じたけど、サバゲフィールドだしこんな感じなのかな。
 キャンプはキャンプ場ですりゃいいし、要するに寝れりゃあいいやって感じでウォー・イベントでテントを張っているしね。

到着即飲酒&ガンダムUC視聴開始
こいつ和歌山行ってもガンダムUC見てんな


「家で見ろ」「ナム戦をしろ」と道連れから言われたので即席撮影会をする図

着てるアモベストは脱いだ際に縫い跡から破れたので着用できなかった...


 部隊のKPがいわゆるBレーション(であってるのかな?)を配給してくれてたので、ありがたく頂く。ベトナムだとメスキットでは衛生上問題があるとかで写真で使っているような使い捨ての紙皿が多用されたようだね。

ぼく「やっぱり関西の方はM79に高性能たこ焼き弾を装填したりするんすか?」
???「そんなん中学生くらいからやるで」
 などと本当に失礼な質問をしたり、バカ話をして夜は更けていった...

 明日もあるから早く寝よう!とか言ってんのに「ガンダムUCの1話がみたい」とかわけ解んない事を言ったので見てる図。家で見ろ

そんなこんなで戦争編へ続く